EX.心因的な腰痛
田中雅俊 38歳 男性 整体師
主訴:ギックリ腰
私自身の体験です。私の場合、それは朝起きぬけにいきなりやってきました。
それまでひどい腰痛になった経験はほとんどなかったのですが、ぎっくり腰の別名“魔女の一撃!”とは本当によく言ったもので、あまりの激痛に身動きも取れず、腰全体がまるでこむら返りにでもなったかのようにつっぱり、ストレッチなんてとても痛くてできたもんじゃありません。
痛みに焦りまくりながらも必死に考えてみたところ、どうも痛みの出方・範囲から、何番目の腰椎がどうとか、何経の経絡で対処できるとか、そういう感じではなさそうです。
「…どうしよ(汗)?他に何が考えられる…?…心因的要素!?心当たりは…?最近なんか変わったことは…?逃げてることは…?…あった!!」
ぎっくり腰になったその前日、私の母親が腎結石の発作で緊急入院するということがあったのですが(その後、石は無事出ました)、その日私は母親に付き添って病院に行ったり、身の回りのものを用意したりして過ごしていましたが、そうやって慌しく過ごす中、母親の痛みに苦しむ姿を見ているうちに、そう遠くない将来、向き合わざるをえなくなるであろう親の介護のことが頭をよぎったのを思い出しました。
…で、その翌朝のこのきつい“一撃!”。
「これか!」
ここからは私の推測ですが、私の場合、家族の入院という経験が引金をひき、私の心の中でも私の与り知れない部分(潜在意識下)で、以下のような葛藤(将来に対する不安)が生じたと思われます。
《将来自分にちゃんと親の面倒がみれるやろうか?》 ⇔ 《無理ちゃうか?》
もし私の思っているとおりだとすると…
潜在意識下の葛藤(ストレス)
↓
自律神経の異常興奮
↓
腰部(局所)の血流不足
↓
“ぎっくり腰”
のプロセスを辿って身体の症状として表れたと考えられます。
で、実際その当時はほぼ直感的に、それが原因(核)だと確信していましたが、それと同時に込み上げる自分自身への恥ずかしさと怒りから、気が付いたときには自分の心に猛アピールをしていました(本当に痛かったのです)。
「…そんなしょうもないことで、こんなド派手な痛みはないやろう(泣)!確かに充分に面倒みれるかオレにもわからんけど、そん時になったら逃げんとちゃんと向き合うわいっ!
そやからこんなしょうもないことせんといてくれ!○ホ〜!!見くびんな〜!!…」
追い込まれていたとはいえ、かなり無茶苦茶なことを言っていますが(笑、これでも言葉を選んでます^_^;)、そうやってアピールすること約3分、分かってくれたのか、とりあえず保留にしてくれたのか、痛みはウソのように消えてしまいました。
…と同時に、“モワ〜ッ”とどんよりした強烈な不安感(不快感)が胸に沸き起こりました。
「…こいつが核(原因)か!」
この“核”はアドラー心理学では“劣等感”という言い方をされますが、この劣等感というのは本当に不快な感覚(感情)で、どんな人でもそれほど長くは感じ続けることはできません。
この不快感を解消するための人生の建設的な方向への働きかけは、やがて偉大な業績にもなりえるものですが、お手軽にこの不快感を回避する方法として、酒やギャンブル、その他あらゆる中毒や依存と名の付くもの(薬物・恋愛・仕事・買い物等)もあります。
ところがそれらにも逃げられない、いわゆる真面目なタイプの人の劣等感、心の中の葛藤ははどうなるのかというと、それが自律神経を介して身体症状として表れる場合があります。それが心身症です。
つまり心身症における身体症状というのは、未だ解消されていない葛藤(劣等感・核・傷ついたインナーチャイルド等)の置き換えでしかありません。
自律神経はあらゆる血管、あらゆる内臓を支配していますから、心の中の葛藤が今回の私のように腰痛として症状が出る人もいれば、胃がキリキリしたり、お腹イタになったり、血圧が上がったり…どこにどんな症状が出るかはその人の個性というしかないんですが…。
で、そのうんざりするような劣等感と対峙した私。
確かに身体症状に“逃げたくなるのも無理ないか…”というような強烈な不快(安)感には参りましたが、その一方で、自分の知らないもう一人の自分(潜在意識)と出会えたせいか、じわ〜っとした感動が胸に広がったのも事実です。。。
(発症から約一年、症状は再発していません)
参考:「心はなぜ腰痛を選ぶのか―サーノ博士の心身症治療プログラム 」
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